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日本盛・中根永敏が「杜氏」になった理由
“この人たちの元で酒造りを極めたい”

人事/人物

――杜氏(とうじ)とはどのような仕事ですか?


杜氏とは、昔は農業の閑散期である冬の間だけ酒蔵に泊まり込みで来て日本酒を造っていた「蔵人(くらびと)」たちの責任者。会社でいうと社長のような役割です。


――中根さんが入社された頃の日本盛は、どのような感じだったのですか?


農業高校の生物工学科を卒業して、平成3年(1991年)に日本盛に入社しました。高校では特にお酒造りを学んでいたわけではなかったですし、杜氏になろうという気も全然なくて。社員で、杜氏になるというのはもう想像もできなかったです。


私は製造部に配属されましたが、最初は新入社員は全員、粕剥がし(かすはがし)という酒粕を機械から剥がす作業をしていました。そこから2つの蔵のうちの北蔵で、お米を洗う「洗米(せんまい)」という工程に配属されました。しばらくその作業をしていたんですが、5年、6年経ったときに、何か面白くないなと。


それで、洗米だけなら8時半に出社すればいいんですが、前の工程を見たいなと思って7時前には出社するようにしたんです。お金が欲しいとかではなく、ただ知りたい、次の工程を覚えたいと。すると、だんだん色々と教えてもらえるようにななり、特に杜氏である“荻野のおやっさん”に可愛がってもらえるようになりました。



「任してあげてくれへんか?」と頭を下げてくれて…


――それが、杜氏になろうと思ったきっかけに…?


それで「蒸米(じょうまい)」という工程を覚えて、また何年か経ったときに荻野のおやっさんから「中根ちゃん、酛造り(もとづくり)覚えへんか?」と言われたんです。酒造りの工程の中で、麹造りの次に大事な工程。その頃は蔵人が各工程専属で酒造りに来ていましたので、みんなそれぞれ、プライドを持って来ているんです。しかも、工程によって給料も違う。簡単に教えてもらえるとは思っていませんでした。


でも、トップの杜氏“荻野のおやっさん”が、酛造りを担当する蔵人さんに頭を下げてくれたんです。「自分らももう歳やから、今後は若い子に自分らの酒造りを教えてあげたい。任してあげてくれへんか」って。それがすごく嬉しくて…。さらにその蔵人さんも、快く引き受けてくれたんですよね。

それから、私が酛造りをおやっさんに教わっているときに、その蔵人さんは補助としてずっと助けてくれたんです。“ここまでしてくれるんや”って気持ちがあって、“この人らの元で酒造りを極めたい”“杜氏になりたい”と思ったのが第一のきっかけですね。今から20年ほど前でしょうか。



――130年以上続く日本盛で杜氏として働くことの、やりがいや難しさはありますか?


まず日本盛という会社は、新しいことにチャレンジする機会がすごく多いんです。当然そうなったら色々な種類の酵母や麹菌を使ったり、そういうことに対応するのはやりがいであり難しさですね。研究や商品開発担当からの「これを造ってください」というオーダーに対して、結構悩むことも多いです。


たとえば2013年頃、当時は「香りの高い大吟醸の“生原酒”」というものが世の中にはまだ少なかったんです。そこで「生原酒ボトル缶」という商品を開発しようとなりました。大吟醸酒には“吟醸香(ぎんじょうか)”というフルーティーな香りを出す基準があるのですが「既存のモノが2だったら、7くらい出さないと商品にならない」と言われたんです。その頃は香りの高い大吟醸酒というのがあまりなかったので、日本盛として特徴を出そうと。


悩みました。私は丹波杜氏組合に所属していますので、他社の杜氏さんにも話を聞きながら、「こうしたらこうなるんじゃないか?」と色々と仮説を立てて。半年くらい試行錯誤しましたかね…実際、その香りができたときはめちゃくちゃ嬉しかったです。そんな工程をお客様に説明させていただいて、「このお酒美味しいね」と言われたりする時も、やっぱり杜氏としての喜びを感じますよね。



いつかは「自分のお酒」を。そして後継者育成も


――最近では日本酒をフルオーダーメイドできる「SAKARI Craft(サカリクラフト)」も始まりましたよね。


発注を請ける時は私が直接お客様にお伺いして、「どういうお酒が良いですか」という話をします。ある程度似たお酒のサンプルを飲んでいただいて、「これに近いお酒がいいね」「もう少し酸があって度数が高いほうがいい」「香りは高いほうがいいね、低いほうがいいね」など要望をお聞きします。


それで、私なりに「こういうお酒でどうですか?」「こういう酒質にしましょう」と提案するんです。その場その場で話をして、これがめちゃくちゃ楽しいんですよ(笑)やっぱり要望されるものに対して、色々考えて造り上げて、それを飲んでもらって喜んでもらえる。「SAKARI Craft」は酒造りの醍醐味だなと感じています。


そうやって多種多様な日本酒を造っていると、いつか自分で色々考えて理想の日本酒を造ってみたいなというのはあります。あとは、今、杜氏が私1人で年齢もあるので後継者を作っていかないとダメだなと考えています。正直なところ若い人に現場で深く酒造りを教える…ということができていない状況なので。自分自身が“おやっさん”に育ててもらったように、今後はそういう方向でも動いていきたいと思っています。


――最後に、日本酒にまつわるエピソードで、中根さんにとって一番印象に残っていることを教えてください。


酒造りをしているからには、息子が20歳になったら、一緒に自分で造ったお酒を飲みたいな、とずっと思っていたんです。それでそういう場面ができて、夜に外で軽くお肉を焼きながら「これ父ちゃんが造った酒やねん」って。一緒に飲んで「美味いなあ」って喜んでくれたときは「夢叶った…」と思いました。今でも思い出すと泣けてきます。

その息子ももう25歳になり、仕事をしているんですが、悩んだときにポロっと「俺も父ちゃんみたいな上司がおったら良かったな」と言ってくれたり。ありがたいですよね。私が酒造りを続けていて、いつか一緒に飲みたいと思っていたことが実現したので、最高に印象に残っています。実は、次男もいて、今17歳なので、3年後にもう1回感動せなあかんのですよね(笑)

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