公開日:

いま「変化への挑戦」のとき…
森本太郎社長が「チャレンジ精神」で挑んだ3年間

人事/人物

――まずは、事業内容のご説明からお願いいたします。


日本盛は、1889年に西宮の発展を願い6名の若者が「株式会社」として創業しました。六甲山の伏流水である「宮水」と酒造りに適した「お米」、「丹波杜氏」の技術力、寒造りに適した「気候」。そして、輸送に便利な「港」。その全てがそろった灘五郷は江戸時代から酒造りが盛んに行なわれており、その中の「西宮郷」で日本酒の製造・販売をしています。さらに、日本酒製造の副産物を活かした化粧品を始め、食品や医薬品の販売もおこなっています。


ミッションとしては「お客様の笑顔のために」と置いています。事業としては広いように見えますが、「世の中の人を幸せにするために」という所は一貫しています。


また、ビジョンは「変化への挑戦」を掲げています。日本酒の業界というのは300年、400年という歴史を持つ酒蔵が多い中で、当社は創業134年です。一般的には古い会社かもしれませんが、業界の中ではまだまだ若手です。だからこそ、創業当時から他では出来ないような新しいことにチャレンジできる環境が整っています。


「新しいことをしよう」「他でやっていないことをやろう」といったチャレンジ精神が大変旺盛なところが優位性じゃないかと思っているほど、根底にあるベンチャー気質というのは強い会社だと思っています。「業界初」というのも実はとても多い会社です。


化粧品事業は「酒屋の女将さん」の口コミで広がる


――どのような「業界初」があるのでしょう?


たとえばテレビCMですね。当時、日本酒メーカーとして初めてコマーシャルソングを使用したテレビCMを流しました。当社のお酒を飲んだことがない方でも、企業名は知っている方が多い。それは「日本盛は良いお酒~♪」というメロディーが皆様の耳に残っているからで、長年のテレビCMの力が大きい。当時のチャレンジのおかげだと思います。

※「ソノシート」:日本盛は良いお酒~♪はサカリちゃん歌の1フレーズ


様々なチャレンジを継続できている理由のひとつとして、創業当時からのDNAもありますが、当社は全社員の約半分が中途採用です。日本盛の文化とは違う方が入ってくることで、今までの文化と混ざり合って刺激となり、最初は不協和音になることもあるかもしれませんが、新しいチャレンジの要素が生まれているのではないかと考えています。


どうしてもこの業界は杜氏を頂点としたヒエラルキーがあり、村社会というか、既存の“常識”にはまりやすい部分も多いと感じています。そうした意味で、日本盛という会社はそこを上手く打破してきたと言えるかもしれないですね。酒造事業の次に…となったときに、当社では1987年に化粧品を始めたのですが、これも業界初のチャレンジのひとつです。


――「米ぬか美人」ですよね。当時は大変なチャレンジだったと思うのですが、どのような背景があったのでしょうか?


20代の女性研究員の発案で、“米ぬかは昔から肌に良いよね”、“昔からお母さんが使っていた”、“そういえば杜氏の手はなぜ綺麗なんだろう”、といったような話からアイデアが出てきました。そもそも「米ぬか」は、米を削って残った酒造りの副産物です。それを「もったいない」と思う当時の女性の観点もあり、もっと何かに使えないかと。


普通なら「ウチは日本酒メーカーだ」と突っぱねられる所だったと思うのですが、紆余曲折ありながらも商品化に漕ぎ着けまして。すると、取引先の酒屋の女将さんから「いいじゃない!」と口コミで広がっていったという。お酒と化粧品はもちろん別物ですが、うまくお酒の販路を使ってファンを増やせたという、想像を超えたシナジーがあったと思います。


31年ぶりの社長交代で、さらなる「新たなチャレンジ」を


――そうしたチャレンジ精神を、森本さんが社長に就任されてからも引き継いでいるわけですね。


2020年の春、ちょうどコロナ禍の真っ最中でした。全社員にとにかく伝えていたのは「世の中に必要とされる会社になろう」「社員皆が誇りに思える会社になろう」と。ただ、先行きが不安な中で、「自分たちに何ができるだろう」と。それで世の中を見渡したときに、足りなかったものが「消毒用アルコール」でした。


消毒には高濃度エタノールが代用できるということが分かっていて、当社にはお酒を造るための高濃度エタノールに該当するアルコールが備蓄してある。そこで我々の監督官庁である国税庁に掛け合い、それを消毒用アルコールに転用可能という特別な許可を得ました。まずこの77度の消毒用アルコールを地元の西宮市を通じ、当時一番困っていた地域の医療機関等に寄付するところから始めました。


初めてですね、会社勤めをして電話や手紙で「日本盛さんのおかげで本当に助かりました、ありがとう」というような声を聞いたのは。これが恐らく「世の中に役に立つ」ということの一つではないかと思い、消毒用アルコールの取り組みを事業化しようと決めました。


手作業での製造で、社員だけでなくOBの方も応援に来てくれて造り続けました。昨年度までの3年間で5リットルの消毒用アルコールを約14万個供給できましたので、伝え続けてきた「世の中に必要とされる」ということが一つ果たせたのではないかと思っています。


――他にも新しい取り組みをどんどんスタートさせていますね。


酒造事業では「SAKARI Craft(サカリクラフト)」という、オーダーメイドで日本酒を製造できる蔵を新設しました。お客様と対話をして、お米の種類や磨き方、味わいなどを決めていただき、一緒にお酒を造り上げていく。世の中にひとつしかない日本酒を造れますので、会社の周年事業の記念品に作りたいというご要望や、クライアントに配りたいなど、そうした需要が多いですね。


商品としては「JAPAN SODA」という発泡性の日本酒を発売しました。実は当社では1985年にも「ハイブレイク」という商品でチャレンジをしていますが、これは早すぎました(笑)これまでの同種の製品は、少し甘口のものが多い傾向ですが「JAPAN SODA」は甘くない。そのため、様々な食事と合わせていただけます。1杯目のビールやハイボールのようにこの商品をお楽しみいただき、2杯目で本格的な日本酒を飲むステップに、という狙いも含んでいます。


お客様が100回お酒を飲む機会があるとして、昔は30回くらい日本酒を選んでもらえていましたが、今は5回ほどしか選んでもらえていない。正直、危機感を持っています。もっと日本酒に価値を感じてもらえるにはどうしたら良いか…と。幸い「SAKARI Craft」や「JAPAN SODA」で、新しい価値を感じていただけるお客様が増えてきているので、良い期待をしています。


日本盛を“推し”てもらうために…その使命とは

――そうした新たなチャレンジを促進するために、社内で工夫されたことはありますか?


昨年2月に、オフィスの一元化を進めました。約1万㎡ある敷地の中に建物やフロアが分かれていた各部署を1つのフロアに集約しています。社内のアンケートを行った際に、「実は組織ごとに壁がある」という声が多くありまして。違う部署と対話や懇親ができていない。そうなると情報交換もなくなり、新しいアイデアが出にくいよねと。私も、皆がいる所で仕事をするようになりました。


他にも、工場から「職場が暑すぎるんです」という声が出たので、屋根を塗り替えるだけで工場内が涼しくなる工事を行いました。社員が働きやすくなって、モチベーションが上がり、新しいアイデアも出やすくなるかもしれない。本当にその繰り返しかなと思っています。


――そうした行動の連続で事業成長があると思うのですが、最後に展望を教えてください。


外的要因でいくと、物価高や人口減少。これはもう避けられない未来ですので、 当社としてはそうした中でどのような価値の高い商品を造っていけるか。商品のブランド価値を高めてそれを認めてもらえるように持っていくのが我々の使命ではないかと考えています。


そして、“ファンになってもらわないと買ってもらえない時代”だと思っています。「日本盛っていいよね」と現代風に言えば、皆様の“推し”になることが事業継続の条件だと思っています。それには我々がミッションに掲げている「お客様の笑顔」が軸になる。それに値するかどうか…という軸で、今後も事業領域を広げていきたいと考えています。

ストーリー一覧に戻る